2011年10月24日月曜日

お酒のお話 ご縁偏

前回は失敗偏でしたが、今回はご縁のお話です。
ご縁といっても女性とのご縁ではありません。人生のご縁です。

取り壊し直前のジョージです

20代前半によく飲みにいっていたバー「六本木ジョージ」(正式名称は「ジョージス」)について前回も少しだけ触れましたが、そのお店のお話しです。
当時世の中はバブル真っ盛りで、社会人になって間もない私でも、遊ぶお金は結構持っておりました。
一回飲みに行くと、だいたい2~3軒は飲みあるき、最後に決まっていくのが「ジョージ」でした。
上京して間もないころ、学生時代の友人に連れてきてもらって以来、この店が大好きになり、独立するころまでよく行ってました。

ここの店は、お世辞にも広いとはいえない店内で、お世辞にも綺麗とはいえない内装で、お世辞にも愛想がいいとはいえないママ岡田信子さん(ママごめんね)がいるお店でした。
でも、この店にはさりげない暖かな愛がありました。
名物の古いジュークボックスからはソウルミュージックが延々と途絶えることなく流れ、その曲に、時には励まされ、時には慰められ、時には癒されていました。


このジュークボックスがジョージの象徴です
私はここのママが大好きで、よく来店の時にはママの好きなお花を持っていきました。
狭い店内で、ママに励まされたり、怒られたり、褒められたりしながら、本当に楽しい時間を過ごさせてもらいました。

システムエンジニアという職業に嫌気がさして悩んでいた時に、このお店に来ていた広告業界の人と話をして、広告業界に行くことを決めました。
ここで出会った人の話を聞いて行きたくなったので、このお店に来ていなければ、広告業界には行ってなかったかも知れません。
このお店が無ければ、今の私は有りません。
私の運命にとっては、このお店はご縁の深い、大変重要な場所だったんです。

結婚をしてからも妻や会社の同僚と行ってましたが、行く回数はどんどん減っていき、独立するころには全く行かなくなってしまいました。
店の前を車で通るたびに、「ママ元気かなぁ」とは思うものの仕事に夢中になっていた私には飲みにいくことすら、ほとんど無くなっていました。
酒は飲まなくても顔ぐらいだしていればよかった。

私も知らない昔のママ
かっこいい!

私が独立してから数年後、ジョージの開店から37年目の2001年10月10日、ママが亡くなりました・・・
ママが亡くなって、しばらく経ってから風の便りで聞きました。
大変ショックでした。すごく大切なものを失ってしまった感じがしました。
同時に「気にしているぐらいなら行けばよかった」と後悔の念すら抱きました。

ママが37年間守りぬいた六本木ジョージは、隣接する旧防衛庁跡地での東京ミッドタウンの開発と同時に無くなりました。
現在は店のあった部分だけが植え込みになっています。
時々、その前を通っては、無いはずのジョージが浮かんできますが、思い出すたびに心の中にポッカリ空いた穴が少しずつ拡がっていきます。

2005年に、お客だった方がジョージを再現し、西麻布にお店を出しているという話を聞きました。
入り口は当時のままの外壁素材を使用し、同じ装飾を施しているそうで、当時のカウンターやボトル棚などを完全に再現し、壁に貼られていた無数の有名人のサインやポスター類も当時のものをそのまま使用しているそうです。
そして、あのジュークボックスは今も使用されているそうです。

生まれ変わったジョージ
昔とそっくりな外観です

私は「ぜんぜん来なくなってどうしたのよ?」とママに怒られるような気がして、怖くてお店に行けませんでした。
しかし、ママが亡くなって10年経った今、できれば移転するまでには「今度、北海道に移転することになったんだよ。ここまで大人になれたのはママのおかげだよ。」とママに報告しにお店に行ってみようと思っています。

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ジョージスはウィキペディアにも掲載されています。
詳しくはコチラをご覧ください。
新しいジョージスのサイトはコチラをご覧ください。


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