それが私たちの決めた40歳からの生き方でした。
それは同時に、ほぼゼロからのスタートを意味します。
当時、子供はいなかったものの妻という家族がおりました。
十勝に戻るといっても、食べていける仕事が無ければ戻るに戻れません。
そこで、永田町にある北海道東京事務所や、新橋にある帯広市東京事務所などを訪問し相談をしてみたものの、いいお話などあるわけもなく、ハローワークなどの窓口で探すしか方法はなさそうでした。
「まあ、職を選ばなければ何とかなるだろう」と思い、移転の準備を進め、東京での事業を北海道に居ても継続できるように縮小。従業員の転職先も決まり、引越しまで1週間となった2005年のある日のことです。
朝、目が覚めるなりベッドの中で、妻に「1週間後には北海道に引越しだが、何か釈然としない感じがするのは俺だけか?」というという問いに妻は、「実は私もそう思ってた」と言い、その短い会話だけで移転を取りやめました。(笑)
住んでいたマンションも既に解約手続きをしていたので、その日に慌てて近所の不意動産屋に駆け込み、近所で引越し先の住居を決めました。
その節は、十勝での転居先、引越し屋さん、取引先など沢山の方にご迷惑をおかけしました。
経営していた会社の事務所 (中央区新富町) |
釈然としなかった理由・・・
それはバタバタと移転を決定し、東京での仕事も中途半端、十勝での仕事も中途半端という中途半づくしが原因でした。
そして、まずは東京に居ながらにしても何かできることはないか。もう少し情報収集してからでもいいのではないか。そしてできれば何か活動を始めてから戻ったほうがよりよいスタートができるのではないかと思い、その方向で準備を進めることにしました。
まずは、北海道に戻る前提で事業を縮小してしまったので、残っていた仕事を一人で3年かけて収束し、2008年には会社員として就職しました。
ところがその就職した会社での仕事が面白く、昼夜を問わず働いていたため、かなかな十勝に係わる活動ができずに焦っておりました。
何もできないよりはと、帰省した際に帯広地域雇用創出促進協議会が運営する「ジョブジョブとかち」への登録をおこないました。
通常のハローワークでの求人では、なかなか私の経歴とマッチする職が無く、「ジョブジョブとかち」であれば何か相談に乗ってもらえそうというのがきっかけでした。
そしてこの「ジョブジョブとかち」の担当者さんとの出会いが、運命的な出会いでした。
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