2011年11月30日水曜日

ただいまです


行きも帰りも飛行機から見える富士山が綺麗でした

昨日東京に帰ってきました。
帯広で風邪をお土産に貰ってしまいまして、ただいま闘病中です。(笑)
今回の風邪はタチが悪いですね。
熱はそれほど上がりませんが、喉が痛く、咳が止まらない、もちろん鼻水と痰も付いています。
夜は咳で眠れず、寝ても咳で起きたり、起こしたりの繰り返しで非常に辛い状態です。
荷造りや残務はありますが、ある程度よくなるまでは少し養生しようと思います。

帰省のほうはと言いますと、もろもろ予定したスケジュールを全てこなし、2人の甥が通う保育所の発表会まで見てまいりました。
お酒は飲みに行きませんでした。
週末に時間があればと思ったのですが、その週末に風邪をひき、週明けの大事な予定に影響がでないように病院にいってから養生していました。

新しい住まいも見てきましたが、まだ建築中なので周辺環境などを中心に見てきました。
なかなか便利な場所で気に入っています。
後は家具類が無事に入るかどうかが問題ですが、まずは無事に契約も済ませひと安心です。

新嵐山スカイパーク展望台からの景色
年賀状用の写真も撮影してきました。
近くで十勝らしい景色を背景に撮影したかったので、芽室にある新嵐山スカイパーク展望台に行ってきました。
娘も上機嫌で、太陽の出ているわずかな時間を狙って撮影しました。
無事にいい写真が撮れ、寒かったのでとっとと撤収してきました。

そういえば一番心配していた娘の初フライトですが、全く問題ありませんでした。
泣きもしなければ、グズりもせず、1歳に満たない子供でも意外と平気なんですね。
JALの客室乗務員の方から娘にメッセージカードをいただき、少し感動しました。
あれはいいですね。JALさん頑張ってくださいね!

いつもの帰省と違って今回の帰省では、見るもの、肌で感じるもの、全てが新鮮に感じました。
「冬の空気って、こんな感じだったなぁ」とか、「空がでかい!」とか、「もうすぐ十勝の人間に戻れる」とか、そんなことを何度も呟いていました。

2011年11月19日土曜日

ひさびさの帰省 最後の帰省


実家の居間は、さながらこんな感じでしょうかw
いよいよ来週は帯広に帰省します。
22日に行き、29日に東京に帰ります。
ひさびさと言っても1年半ぶりですが、毎年1回は帰省していた我が家にとっては久々の帰省になります。
娘が産まれたこともあり、帰省できなかったわけですが、同時に両親以外の地元にいる祖母や妹、親戚に娘を会わせるのも初めての機会になります。
帰省のたびに狭い実家の居間は、一気に人口密度が上がるのですが、今回はこれまで以上にすごいことになりそうです。

当初は住まいを探すのが主な帰省理由でしたが、幸運にもすでに物件が決まったため、少しは気持ちを楽にして帰省できそうです。
せっかくなので、住まいの周辺環境や、帯広の街でもゆっくり見学したいと思っています。
夜は地元の友達に会おうかと思っていましたが、1ヵ月後には移転するので、とりあえずその時の楽しみにしておきます。

新しい職場と、今回のUターンにあたりお世話になった方にも挨拶に行く予定です。
ボスとは久々の再会なので、今からとても楽しみです。

唯一心配なのが、もうじき1歳になる娘の初フライトです。
一応、JALのスマイルサポートに予約しておきましたが、初めて利用するのでよく分かりません。

男性のお医者にはめっぽう弱い娘ですが、同性のCAさんであればきっと大丈夫でしょう。帰りと、1ヶ月後の移転の際にも飛行機を利用するので、ここで泣かれてしまうと先が思いやられます。
あらゆる準備を整えてフライトに備えなければなりません。(笑)
娘も初めての経験ですが、私たち夫婦も乳児連れでのフライトは初めてですしね。
今からちょっと憂鬱です。

これで魚たちを移転させます
今回の帰省で、一足先に観賞魚たちは移転してしまいます。
本当はリクガメさんも移転の予定だったんですけどね。
観賞魚はJALに確認したところ、中身が見えず、水が漏れなけば機内持ち込みでも問題なしとの事でしたので、その準備をします。
あと、逃げないようにとも言われましたので、フリスクだけは持っていかないようにします。(笑)
ホームセンターで小さなスチロール製のクーラーと、酸素石を買ってきたので、後は出発直前に入れて運ぶだけです。
寒さ対策はしていませんが、デリケートな種類はいないので、まぁ大丈夫でしょう。
ちなみに、観賞魚はクラウンローチというドジョウ系の魚と、タイガープレコというナマズ系の魚。それからヤマトヌマエビというエビです。
なんとも奇妙な組み合わせの魚たちですが、以前はもっとたくさんの魚がおりました。
一旦、実家に預けるため、父が昔使っていた水槽をスタンバイして待っています。
まぁ、魚たちの移転はきっと問題ないでしょう。

あと、十勝に帰り時間が空いたら、ドライブがてら写真を撮りにいきたいと思っております。
ド素人で上手くはありませんが、写真も私の趣味の一つです。
というよりも、カメラが好きというか、写真も好きだけど動画も好きだったりします。
それと同じぐらい動画を編集するのも大好きです。
主に使用しているカメラはCANONのEOS 7Dです。
動画の撮影もほとんど7Dでしてしまいます。フィルムのような味わいある画質感がたまらないんですよ。
この話は別な機会にいたします。
ちなみに、このブログに掲載されている写真の中で、私が撮った写真のほとんどは携帯電話のカメラです。(笑)

さて、帰ってきたら、移転まで残すところ、あと1ヶ月です。
娘の誕生日やら、移転前に東京の友人にも会ったりなど、移転準備以外にもいろいろあるので、今年の師走はいつも以上にプライベートが忙しくなりそうです。

今日からブログの更新をお休みします。
帰省から帰ってきたら更新を再開します。

2011年11月17日木曜日

私の株式投資ライフ 後編


営んでいた事業を縮小しつつある中で、それまで仕事に使っていた時間の一部が空いてきました。
その時間を利用し、好調だった株式投資をさらにルーチン化させよと始めたのがデイトレードでした。
数ヶ月前から研究を重ね、どうすれば超短期間でローリスク&ローリターンを繰り返せるか、そしてそれを1日のうちに少しでも多くそれを繰り返せるか、自分なりの方法を見いだしました。

当時の写真が1枚も残っていないので
転載させていただきました ごめんなさい
これは私のデスクではないですが、こんな感じでした
詳しく説明するとすごく時間がかかるので、簡単に説明すると、銘柄の中にはIRやニュースリリースに関係なく値動きが活発な銘柄があります。
あくまでも値動き重視で業績などはほとんど見ません。
もちろんIRやニュースリリース関連の銘柄もウォッチしますが、それらの銘柄を少なくても20社から30社程度まで前日までに前の日の動きなどから絞り込みます。
前場の寄り付き前から、その20社から30社の株価を歩値やチャートでリアルタイムにウォッチし始めます。
市場が始まり、銘柄に動きがあったら、会の準備をし、ある動きが見られたら買います。
買った後は決して買い増しせずに上がっているうちに売ります。
もちろん様子見などせずにスパっと売ります。
たまに上がらない場合もありますが、数秒しても上がらない場合、または上がらずに下がった瞬間に売ります。
これを機械作業のように繰り返すのです。
欲張らない、期待しない、損をしても気にしない、この3つを取引のポイントにしていました。
投資額にもよりますが、これでそれなりに稼ぐことができます。
簡単に紹介しましたが、実際はもう少し複雑です。
よくデイトレーダーの本などで書かれていることに似ているとは思いますが、私も本を出そうとした口です。
結局出しませんでしたねどね。(笑)

最初のうちは研究の成果が出ることが楽しくてしょうがなかったんですが、利益が出ながらもだんだんとこの生活に疲れてきました。
その時の生活スケジュールの資料があったのでログります。

【前日】
15:00 反省会。
     ノウハウ資料更新。
     成績記録。
     日経CNBCを見る(TOKYOアップデート)
     日経CNBCを見る(TOKYOマーケットラップ)
     シンガポール市場チェック。
17:00 前日作戦会議。(保有銘柄・今日の注目銘柄・IPO)
     夕刊のチェック。
18:00 夕食
19:00 注目銘柄分析、検討。
     注目銘柄ウォッチ登録。
     シンガポール市場チェック。
23:00 ワールドビジネスサテライトを見る。
     東証速報チェック。
     情報収集。
     注目銘柄見直し。
24:00 就寝

【当日(開場前)】
6:00 起床
6:55 日経CNBCを見る(ニュースモーニングサテライト)
    朝食
7:30 ニューヨーク株価など海外市場のチェック。
    マネックスナイターのチェック。
    新聞のチェック。
    注目銘柄最終見直し。
8:30 日経CNBCを見る(TOKYOモーニングエクスプレス)
    外国人投資家の売買動向をチェック。
    注目銘柄の寄り付きチェック。
    最終注目銘柄決定。
8:50 スタンバイ

【当日(場中)】
・前場
  9:00~10:00(寄り付き) ※重要時間帯(注文活発化)
  10:45~11:00(前場終了間際) ※重要時間帯(前場の〆、後場へのつなぎ)
・昼休み
  11:00~11:15 日経CNBCを見る(TOKYOマーケットウォッチ)
  11:15 昼食
  12:00 日経CNBCを見る(TOKYOマーケットエクスプレス)。
       東証速報チェック。
       前場ランキングチェック。
       他デイトレーダーサイトのチェック。
       注目銘柄の寄り付きチェック。
       後場最終注目銘柄決定。
  12:20 スタンバイ
・後場
  12:30~13:30(寄り付き) ※重要時間帯(注文活発化)
  14:30~14:55(後場終了間際) ※重要時間帯(当日の〆、翌営業日へのつなぎ)
  14:55(終了5分前)に終了。 ※それ以降は取引しない。

以上です。

異常です。(笑)
見て分かるとおり、起きてから寝るまで株のこと、つまりお金のことしか考えていません。
バカな私は、これを数ヶ月やった後にようやく気づきます。
そもそもお金の仕事が好きなら、金融関係の道に行くはずで、私は間違っても好きなほうではなく、ただただ趣味で株取引をしているのが楽しかっただけなんです。
そして、順調だったにもかかわらず、ある出来事がきっかけにキッパリと足を洗ってしまいました。

それは、ネット回線が取引の致命傷になり始めたことでした。
ある朝、いつものように取引をし始めると、買い注文を出してから、なかなか約定せず、上がりきったところで約定してしまうのです。
さらに、その株をすぐに売ろうと売り注文をだしても、これまたなかなか約定せず、下がりきったところで約定してしまうのです。
つまり、最も高いところで買って、最も安いところで売ってしまうという、最悪な事態が前場の寄り付き前後の取引の時に頻繁に起こり始めました。

さすがにそのまま売買をするわけにもいかず、また、前場の寄り付き前後は最も稼げる時間帯だったので、証券会社のシステム担当者に問い合わせをしてみました。
私の自宅、証券会社、東証までの回線、この3区間のどこでラグが起こっているのかを調べてみたところ、証券会社と東証までの間の回線がボトルネックになりラグが起きていたことが判明しました。
システム担当者は、その回線は東証から分け与えられている回線のため、東証が改善しなければどうにもできないというのです。
これには、どうにもお手上げでした。

2010年から稼動している東証のarrownetの構成図
(※図は開発段階のものです)
高速性、信頼性、拡張性、接続性が特徴だそうです
個人的には、よくこんな図を公開するなぁと感心しますw
そんなんだからアノニマスの格好の餌食になるわけですw
その後、数日間ラグを避けて取引をしてみましたが、どうにもパフォーマンスが上がらず、残念ですが撤退を決意しました。
その数日後に、東証が証券会社との回線の増強を早急に検討する記事が日経新聞にでておりました。
恐らく私以外にも、多くの投資家からクレームがあったのでしょう。
原因は個人投資家の激増と、それに伴った単位株数の引き下げだったと記憶しております。

こうして、私の株式投資ライフは終わりました。
それ以来、一切トレードはやっていません。
保有していた株やファンドは全て手仕舞いしてしまいました。
利益が上げれるから向いているのではなく、金融の世界が好きかどうかがポイントだと思います。
まぁ、私のやっていたトレードなんて、金融の片隅にもおけないような手法だったとは思いますけどね。

そんなこんなで、株式投資や経済というものを少しは勉強できたこと、所詮個人投資家なんて大きな経済の流れの中のチリみたいな存在だということに気づいたことは、私にとっては大きな財産でした。
ちなみに、その時に稼いだお金の財産はもう一銭も無いですけどね。(笑)

2011年11月16日水曜日

私の株式投資ライフ 中編


すっかり株取引に面白さを感じてしまった私は、IPOを狙いつつも、短期銘柄で売買するようになりました。

2004年に上場し初値が公募価格の
2倍以上を付けた銘柄リスト
(クリックで拡大できます)
振り返ると凄い企業数ですw
電通の上場騒動からまもなく日本の株式市場に空前のIPOブームが到来しました。
IPOの公開直前の株はだれでも買えるわけではなく、幹事となっている特定の証券会社に割り振られた公開株を、そこの証券会社の顧客が一部分購入できるというもので、おおかた営業担当者の判断に委ねられていました。
各証券会社におけるインターネットサイトの整備が進む中、ほとんどの証券会社がサイトを利用した抽選方式をとるようになりました。
ブームの到来により、当たれば儲かるというIPOは、個人投資家の格好の投資先となり、ブームの中盤には、IPOの入手は本当に困難を極め、上場するIPOの中には公開価格(購入価格)の数倍の初値をつける銘柄が続出しました。
中には、公開後も爆発的に高騰する銘柄も少なくはなく、それにあわせて個人投資家も爆発的に増えていきました。
ある証券会社に口座の解約に行ったとき、子供をおぶった若い母親が窓口で、IPOを申し込みたいから口座を開設したいと、窓口の女性に勢い迫っていたのを見たときは狂気すら感じました。
お金は本当に怖いです。(笑)

ブームにより買える可能性が低くなったIPOに魅力を感じなくなった私は、とりあえず抽選だけは申し込みを続け、並行して短期銘柄の売買をしていました。
個人投資家が増大することで、市場もまた活気付いていました。
折りしも、東証マザーズやジャスダックなど新興市場の活気が最もあった時で、私ももっぱら新興市場の銘柄を売買していました。
値動きの激しい新興市場の銘柄は、まさにマネーゲームと化していました。
「分割バブル」といわれる、株式分割を発表した銘柄が高騰するトレンドが発生したのもこの時期です。
余談ですが、某大手証券会社の営業さんが私の会社のような零細にまで、「事業内容が特徴的なのでIT系でいける」と上場を持ちかけてきたんですよ。
条件的にも絶対に無理ですし、そんな気はさらさらなかったので、端から笑ってお断りしましたけどね。(笑)

オン・ザ・エッジ時代の掘江さん
決してファンではありませんw誤解なきよう
売買した銘柄は数多くありますが、中でも一番印象的だったのは、「オン・ザ・エッジ」という会社です。
知っている人も少なくないと思いますが、あの堀江さんの会社です。
後にライブドアとなるこの銘柄の売買で、私はちょっとだけ儲けさせていただきました。
当時湧き出た「ビットバレー」企業の一つで、彼らとは思考も、ポリシーも、ビジョンも全く違う私はアンチビットバレーでしたが、似たような業界において、堀江さんの当時の頑張りぶりに少しだけ共感し売買していました。
本業において、ビットバレー企業と一緒に仕事をすることもあったのですが、勢いだけで中身がない企業も少なくなく本当に泣かされました。
また、2001年の9.11アメリカ同時多発テロ、2004年のライブドア粉飾事件などで、相場は大荒れに荒れましたが、たまたま保有している株が少なかったのが功を奏し、大きな損害はでませんでした。
ライブドアの時には、事件の前週まで当銘柄の売買をしていましたが、ライブドアの経営方針や、発行株式の投資単位引き下げなどに疑問を感じ、全てのライブドア株を売却していました。
これは本当にラッキーでした。

そんなこんなで、当時の私の売買益はそれなりのプラスになっていました。
株式資産も着実に増え、開設している証券会社の口座も数社になっていました。
すっかり有頂天になった私は、いよいよ本格的に株式投資をしようとするのでした。
私は本当にバカですね。(笑) 次回に続きます。

2011年11月14日月曜日

私の株式投資ライフ 前編


人格を疑われやしないかと、この手の話はしないでおこうと思いましたが、これも貴重な人生経験なので一応ログっておくことにしました。

広告プロダクションで働いていたときに、大手広告代理店の営業だった方が私に株取引の話をしてくださったのが事の始まりでした。
その方の奥様が株取引をされていて、そこで得た利益で高級車を買ったというお話でした。
まあ、その代理店さんの社員といえば、実家がお金持ちの方が多く、そのような話は自慢話にもならないので、若い私に仕事の合間の駄話で話してくれたのでしょう。

株なんて縁もないほどお金がなかった私にとっては、「ふぅ~ん」ぐらいの話でしかありませんでした。

ここが野村證券本社です
初心者がいきなりココで株を買うようなバカなマネはしないでくださいw
それから独立をして小銭を持つようになった私は、ある日、ふとその時の話を思い出しました。
好奇心旺盛な私は、すぐに野村證券の本社(なんで本社なのかw)に行き、何もわからないまま、窓口で某ゲーム会社の株を200万円(なんで200万円なのかw)ほど購入しました。
今考えれば、なんとバカなことをしたのかと思います。
やっぱり買うならいい営業がいそうな本社がいいんじゃない?とか、購入金額もなんかそのぐらいは買わなきゃいけないのかな?という感じでした。
当時の野村證券の本社はロビーが国立美術館を思わせるような重厚な造りで、伝統あるレトロな大理石造りでした。
出入りする人もお金持ち風な方ばかりで、私のような若造は一人もいませんでした。
購入はというと、窓口の女性とのやり取りであっさりと終わってしまい、こんなものかと思いました。
その日のうちに、すぐに本社の営業から電話があって、そこから私の株式投資ライフが始まりました。

しばらくは売買をせずにいたのですが、担当営業の方にIPOという新規上場株を薦められたところから一気に株取引に目覚め始めました。

私が広告業界の人間だということで、電通さんのIPOを紹介してくれました。
今のIPOはローリターン、ローリスクという言葉を信じ、すぐに購入しました。
公開日までドキドキで、これは楽しいと思い始めました。

2001年11月30日公開日当日、営業さんからは、公開して値がついた直後に連絡をするから、売るか保留にするかは、その時に決めてくださいと言われておりました。
そして、9時の前場が始まる前からウォッチをしておりました。
新規公開株はいきなり値を付けないで、ジリジリと値を上げていくことが多いのですが、なんといきなり値を付けてしまい、いきなり値をつけたと思ったら直ぐにストップ高になってしまいました。
素人の私でもこれはおかしいと不思議に思っていたら、すぐに営業さんから電話が来ました。
どうやら原因はUBSウォーバーグ証券が大量の誤発注をしてしまったとのことでした。

当時の日経新聞の記事です
この時の野村證券の営業さんは「ほんとしょうがないですよねぇw」と
他証券会社の失態をちょっと嬉しそうに話していましたw
UBSウォーバーグ証券は取引開始直後に「61万円で16株」と入力すべきところを「16円で 61万株」として、売り注文を出してしまったそうです。
更に、コンピューターに警告画面が表示されたのに、担当者は無視して実行してしまったそうです。
この注文は9時2分に取消されましたが、2 分間で16円ではないものの、40万5000円から42万円で約6万5000株の売買が成立しました。
初値が42万円で終値は47万円(ストップ高)でしたが、UBSウォーバーグ証券の誤発注がなければ、初値も終値も高くなっていたと思われます。
UBSウォーバーグ証券は、誤発注に気付いてから買戻しを行いましたが、5万株とも言われる不足分については、電通株を保有する複数の金融機関から株券を一時的に借りて調達したそうです。

結局、終値は47万円で時価総額は6500億円強となり、この年の新規上場会社としてマクドナルドを抜いて最大となりました。
すっかり水を差された電通の株は、その日以降もストップ高を付け続けましたが、所詮ストップ高。
私は、ストップ高に張り付かなくなった時を見計らって手仕舞いしてしまいました。

ビギナーズラックとも言うべきか、これで味を占めた私は株取引にハマっていきます。
そしてその辺りから、株式相場はIPOフィーバーに突入していきます。

さらっと振れるだけのつもりでしたが、長くなってきたので続きは次回にします。

2011年11月12日土曜日

持病の関節リウマチ

間接リウマチは間接を破壊します
(図:中外製薬)

私の母は関節リウマチで、特に指の関節の症状がひどく、間接が腫れ上がって変形しています。
見ているだけでも痛々しい状態です。
冬が近づくにつれ、寒さがその痛みを増幅させるらしく、娘が生まれる前後に長期で東京に滞在していたときは本当に快適だったようです。
関節リウマチが発覚する前までは、病気などほとんどしないぐらい健康で、趣味もテニスやスキーなどのスポーツ系が多く、まさかそんな病気になり仕事はもとより、趣味のスポーツまでもができなくなるとは、家族の誰もが想像もしませんでした。

そして今年、私もお医者様から間接リウマチであると診断されました。
手のひらと指の関節に違和感があったため、もしやと思い医師の診察と検査を受けたところ、案の定そのような結果がでました。
母のこともあったので特に驚くこともありませんでしたが、母に報告するととても残念がっておりました。
私は母より早くに発症しましたが、救いだったのは、母より早期に発見できたことでした。
医師の話では、早い段階で薬物治療をしていけば、完治の可能性が高いとのことです。

間接破壊の進行度(ステージ)
私はステージIです
(図:中外製薬)
癌を宣告されたほどのストレスはありませんが、真っ先に頭に浮かんだのは、仕事のことではなく、趣味の自転車、スキー、登山のことでした。
どれも間接リウマチが悪化すると大きなハンデになってしまいます。
今のところ、この3つの趣味だけは老人になってもやりたいと思っているので、治療に対する姿勢は真剣そのものです。(笑)
治療といっても、毎週決められた曜日に、決められた薬を、決められた数だけ服用するだけです。
月に一度、医師の診察があり、経過観察を行うのですが、最近はあまりよくないようです。
まだまだ病気に対して勉強不足なので、医師には趣味のことは内緒にしてあります。

機能障害の進行度(クラス)
私はクラスIです
(図:中外製薬)
自転車に乗っている時も、やはり手や膝の関節が痛みますが、それほど気にならない程度です。
怖いのは間接が変形し、物理的に趣味ができなくなることです。
そうならないためにも、決められたとおりにきちんと薬を服用し、病気についての正しい知識を身に付けることが大切です。

それでも自転車などの趣味ができなくなってしまったら・・・
まあ、その時は別の趣味を始めればいいだけのことです。(笑)

2011年11月10日木曜日

かかりつけの歯医者

先日から歯茎が化膿して腫れ上がり毎日膿が出るような状態が続いていました。
歯を大切にしてこなかった私の歯は、決して綺麗とはいえない歯並びと、奥歯の数本を失っている状態のため、噛み合わせには本当に苦労しております。

前歯に結構な隙間があるため、麺類を食べる時に油断すると麺が前歯の間から滑り落ちてきたり、イカフライやイカ天などは噛み切れないため一気に頬張るしかなく、たまに丸呑み状態になることもあります。
そんな噛み合わせのため、一部の奥歯に偏って負担が掛かってしまいます。
虫歯はないものの、時間が経過すると、その負担のかかる歯が耐え切れずに炎症をするのです。
そして、ついに悲鳴を上げた歯を診てもらいに、いつもの歯医者さんに行ってきました。

いい歯医者さんに巡り合うのは本当に難しいと思います。
北海道に行ってしまうと、もういつもの歯医者さんに行けなくなるのが寂しく思います。
北海道に行ってから近所でいい歯医者さんに巡り合えるだろうか。
決して歯が健康でない私にとっては、そんな不安があります。
歯が痛くなるその時までに早く見つけるようにしようと思っております。

かかりつけの歯医者さんは、以前私が事業を営んでいた頃に、オフィスのあったビルの1階にある歯医者さんで、物腰が柔らかく、丁寧で、親切で、腕がいいという私が出会った歯医者さんの中ではパーフェクトな先生です。
いろいろ時間的な無理も聞いてもらったりと、本当にお世話になりました。
移住の前に、もう一度診療をしていただけたのは、本当に良かったと思います。
偶然入ったビルの1階がいい歯医者さんだったというのは、本当にいいご縁だったと思います。

今日の治療は、レントゲンを撮ってから状況を確認。
歯茎を切開して膿を出し、歯の根っこを確認したところ、根の2又になった部分が割れていたため、片方の根を抜歯して歯を温存するというものでした。
聞いただけでゾッとするような内容ですが、あっという間に施術が終わり、痛みという痛みはほとんどありませんでした。
本当に腕のいい先生です。

以前、先生が休診の時に、どうにもならずに何度か他の歯医者に行ったこともありましたが、行った歯医者の全てがヤブ医者様で、失わなくていい歯を失ったり、頬がすごく腫れ上がったりしたこともありました。
たいていそれらの歯医者へ行った後に、先生のところに駆け込み、再度治療してもらうこともしばしばありました。

話は変わりますが、私は自転車を始めたのは、この歯医者さんの影響も少なからずともありました。
確か先生は私が自転車を始める2、3年前に自転車を始めたのですが、幾分ポッチャリしていた容姿が、あっという間のホッソリしてきて、それはもう別人のようにスリムになっておられました。
その記憶があったので、ダイエットにいいからと自転車を始めたのがきっかけでした。
先生には私も自転車をやり始めたことを、まだ話していないんですけどね。
移住する前に、まだ何度か治療があるので、その時に自転車の話でもしてみようかと思います。

2011年11月9日水曜日

神奈川での思い出を自転車で

ルートマップ ピンクの線が移動ルートです
クリックで拡大できます
先日、一度自転車で走ってみたかった、東京~小田原間を走ってきました。
自宅を出発し、第一京浜(R15)を横浜まで走り、横須賀から葉山に抜けた後、鎌倉、江ノ島、茅ヶ崎、大磯、小田原と海沿いを走る130kmのルートです。

上京して数年経ったころ、自宅が神奈川だった時は、よく横浜、横須賀、湘南に遊びに来ていました。
私にとっては、思い出のエリアですが、神奈川を離れた後はあまり行かなくなり、どこか遠い存在になってしまっていました。
東京を離れるにあたり、1回でいいから自転車で走っておきたいと、ずっと思っておりましたが、ようやく走ってくることができました。

走っている最中に信号待ちなどで停まっている時に写した写真(といっても携帯電話のカメラですが・・・)と合わせてログを残すととも、思い出を振り返ってみたいと思います。

自宅を出てまもなく豊洲交差点 AM9時ぐらい
本当にここはすっかり変わってしまいました。晴海に展示場があったときは、よくここからバスに乗って晴海に行ってましたが、その時は何もない寂れたエリアでした。いまでは近所ですが、とても思い出の場所です。
ちなみに右のビルは妻の勤め先です。妻にとっても思い出の深い場所でしょう。

けっこう進んでしまいましたが品川です
向こうに見える高い建物は品川プリンスホテルです。左側の高い方は新館で、その杮落としイベントの制作と運営をしました。ここも駅の南側は最近すっかり変わってしまいました。

環状七号線交差点 大森のあたりです

環状八号線交差点 蒲田のあたりです

多摩川を渡るともう川崎です

鶴見

生麦
その昔、生麦事件のあった場所だったので、始めてきたときはちょっと興奮しましたw

そうこうしているうちに、もうすぐ横浜に到着です
ここの直前に思い出のBARがあります。
東神奈川の瑞穂埠頭に在日米軍の輸送基地があり、その正門の真ん前にあるBAR POLESTARとStarDustです。
結構僻地なんですが、ここにはよく行きました。
最初の会社を辞めるときに、同僚の粋な計らいで送別会をここでやってくれました。

横浜中央卸売市場を通りすぎると

すぐにみなとみらいが見えてきます
景色も道路も綺麗で、国道を離れ車も少ないので快適です。 

余談ですが、けいゆう病院
まるでオフィスビルのような病院ですw
ここの産科が横浜近隣に住んでいる奥様に大人気だそうです。

よこはまコスモワールドの観覧車
みなとみらいのちょっとしたシンボルですね。

こちらもみなとみらいのシンボル 横浜ランドマークタワー

初めて見るとビックリする円周型の歩道橋 サークルウォーク

そしてみんなの大好きな 横浜赤レンガ倉庫
ええ、私も大好きですw

サービスショットw ちなみに装備は遠征仕様です
あまり荷物を持つのは好きではないですが、輪行用バッグ(ボトルの左)を持つとなるとこうなります。
トップチューブに付けている貴重品入れのバッグがどうにも気に入りませんw

ここもすっかり商業施設となってしまい、土日は広場でイベントなどがよく開催されています

赤レンガ倉庫の横にある 横浜海上保安部
ここにある工作船資料館(すごい名前w)がなかなかの見ものです。

赤レンガ倉庫からはベイブリッジと大さん橋も見えます
大さん橋の上は芝生になっていて眺めも良く、カフェやレストランなどもありとても気持ちのいいところです。
ここは橋といっても客船が停泊する場所です。たまに豪華客船なども停泊します。

山下公園前のいちょう並木
奥に横浜マリンタワーが見えます。この左が山下公園で、右が横浜中華街になります。
ちなみに私は同發(どうはつ)というお店が好きです。お粥なら謝甜記(しゃてんき)というお店が好きです。
また、上京当時この近くにあった「CIRCUS」というクラブにはよく行きました。
カマボコ兵舎をつかった、こういうクラブを作りたいと真剣に思っていた時期もありましたw

一応撮っておきたくなる山下公園にある氷川丸w

さらに進むと本牧です
一時のマイカル本牧ブームはどこにいったのか、すっかり寂れてしまっていました。
五番街の6階に「オフィサーズクラブ」という米軍接収時代に本牧にあった将校クラブを再現したレストランがありました。
ジャズなどのライブなどをしていたり、若かった私には少し背伸びができるお店でした。

本牧を抜けると根岸です

ひたすら八景島方面へ走り

八景島をすぎると日産の工場がある追浜(おっぱま)です
追浜を抜け、いくつかトンネルを抜けると

米軍基地の町 横須賀に到着
遠くに潜水艦も見えます

見えにくいですが、奥にイージス艦のような船があります

大きなビルとかも建ってすっかり変わっていました

こちらは米軍基地の入口ゲートです
ここで年に1回あるフレンドシップデーにはよく行きました。空母が停泊しているときには空母に載ることもできました。


横須賀の町中
この時すでに1時近くでお腹が空いていましたが、逗子にある食堂に行きたかったので我慢しました。

衣笠を通過し

葉山はもうすぐそこです

葉山に到着
ここからは信号も少なく走りっぱなしだったので写真も少ないです。

地下2階が海に浸かった建物。ちなみに1階は雑貨屋です。
他にも葉山御用邸とか豪華な邸宅とか撮影しておけばよかった・・・
ひたすら気持ちの良い海沿いを走っていると

もう鎌倉 由比ガ浜海岸です
あれ?そうです、昼食をとろうと思っていた逗子を通り越していました・・・

遥か後ろに見える逗子マリーナw
よく海水浴やサーフィンをしに来ました。

ガッカリしていてもお腹は満たされないので、通り沿いにあったコンビニでヤケ買いし、その近くの見晴らしのよいプチ公園でヤケ食いしましたw
昼食をとった後はすぐに出発
しばらく走っていると江ノ島に到着。

すっかり忘れていたのですが、江ノ島から先は防砂林で海が見えないんですよねw
でも、道路が綺麗で走りやすい道路なので気持ちが良かったです。
結構長い区間ですが、景色が変わり映えしないので省略。
辻堂、茅ヶ崎を通り抜けます。

標識に相模原とありますが、相模原に住んでいたころ、土曜日によくここを走っていました。
土曜日の早朝にサーフィンをするためだけに、この道を通り大磯まで行っていました。

大磯に到着
有名な?大磯ロングビーチは海岸線をもっと先に行ったところですが、ここから少し内陸に入り箱根駅伝でも有名な国道一号線に入ります。実は予定したルートは海岸線だったのは内緒ですw

国道一号線を通ったばっかりに海とはご無沙汰になりましたが、ようやく海が見えてきました。
遠くに見えるのは伊豆半島。

小田原が間近なところで温泉の看板
入りたーい!
小田原駅に到着 PM3:30ごろ
小田原城を見学する時間でもかなったので、ここで自転車をバラして輪行袋に入れ、お土産の蒲鉾を買ってから電車に乗って有楽町まで行きました。
有楽町で自転車を組み立てから帰宅しました。
自転車に乗っているときより、電車に乗っている時のほうが長く感じましたw

とまあ、長々とログっちゃいましたが、自転車での遠征は本当に楽しいです。
こうして思い出の場所を自転車に乗りながらじっくりと走ると、ゆっくりと色々なことを思い出せていいものです。
もうこれで神奈川方面には未練がありません。スッキリした気持ちで移住できそうです。(笑)

この日の移動距離は約130Km、移動時間は約5時間、消費カロリーは約3,500Kcalでした。
でも、昼食にコンビニでヤケ食いしたから1/3は無駄にしたかもw
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